2007年03月02日

狂気#85

2007年8月。
『じゃあ改札出たとこで待ってるね』
先日買い換えたばかりの新しい携帯でメールを送信し、ふたを閉じる。まだ慣れない操作に、僕は戸惑い気味だ。
少し緊張しながら改札を出て、見渡すとそばに自動販売機を見つけた。
「ちょうどいいや。」
そう呟き、僕は投入口に500円玉を入れた。すぐに「三ツ矢サイダー」と書かれたボタンを押し、釣り返却口へ手を伸ばす。が、数秒考えたあと、僕は思惑を変更した。

「2つにしよう。」
カシャンカシャン、という音を立てて小銭が勢いよく出てくる。僕は硬貨の冷たい感触を確かめたあと、その中から100円玉と10円玉2枚を取り出し、再び投入口へと滑り込ませた。そして、もう一度「三ツ矢サイダー」のボタンを押す。

本来うるさいはずの缶ジュースの落下音が、セミの鳴き声によって掻き消された。僕は一方の缶を開け、もう一方は小脇にかかえた。そして携帯を見る。
「メール、こないなあ……。」
三ツ矢サイダーの香りが口に広がった。何の反応もない携帯に少しいらいらしながら、僕はそれを飲む。暑い日の冷たい飲み物は格別だ。太陽の照りが強ければ強いほど、飲料水を飲んだあとの爽快感は高まる。
携帯画面とにらめっこしていると、電池のマークが3コから2コへと減った。いくら新しい携帯で、電池が前のものと比べはるかに長持ちするといっても、この旅の間酷使し続けていたことが祟ったようだ。そろそろ休ませてあげなくては。

そんなことを考えていて、前の人影に気が付かなかった。今僕がここにいる理由も、三ツ矢サイダーを2本買った理由も、目の前の少女がいなくては意味をなさない。
「あっ……ごめん。えっと、溺愛です。」
僕は少し申し訳なさそうにそう言い、少女に向かって軽く会釈した。少女は、目前にいる人物が目的の人物だと確信したようで、ゆっくりと近寄ってきた。
「nanash!です。」

彼女の言葉に、僕は予定通りの笑顔を見せる。僕のその笑顔に少し安堵したようで、彼女の顔からも笑みがこぼれた。
思ったよりかわいいな――それが、初対面で彼女に持った印象だ。太陽の光が彼女の肌に当たり乱反射している。化粧っ気がまったくないのに透き通って見えるのは、彼女の肌の綺麗さを物語っているようだ。
「飲む?」
僕はさっき買った三ツ矢サイダーを差し出した。「あっ……ありがとうございます」と礼を述べる彼女に、「炭酸飲めるよね?」と続ける僕。なんだかいい雰囲気だ。
彼女が一生懸命それを飲んでいる間、僕は今来た駅を見返した。明治時代に建てられたのだろうか、駅舎自体は相当古いものだ。
僕はふと、「こういう場合は大体駅前のパン屋はつぶれている。そこのパンはおいしかったとヒロインは言うのだった」と誰かがかつて言っていたのを思い出した。確かにこの駅から少し離れたところにあるその建物は、人がおらず閑散としている。パンの絵が書かれた看板が放置されているあたり、最近閉店したのだろう。
彼女が三ツ矢サイダーを飲み干したあと、しばらくして二人は歩き出した。行き先は特に決まっていない。ただ、立ち止まり 互いに正面を向いて話すのが照れくさいだけだ。

彼女の様子を目の端でうかがいながら、僕は事の成り行きを思い返していた――。

"pya
罵声" それが彼女とはじめて出会ったところだ。「会った」と言っても、僕たちは通信ケーブルでつながれ、見ているものは互いにパソコンのディスプレイ。文字だけの世界がそこにはあった。
"pya罵声"は「ゲーム」であり、「チャット」であり、そして時には「戦場」だった。"pya罵声"の常連だった僕たちは、連投師との「戦争」の挙句、行き場を失くした。
閉鎖。それはあまりにも残酷は別れの宣告。
しかし、それは違った。同じく"pya罵声"の常連だった有志バトラーが"pya罵声"に劣るとも勝るとも言えない"助言"を作り出し、僕たちはそこに住み着いたのだ。
そして、僕はこの夏休みに現実の世界で彼女と会うことを約束した。
会うと言っても、僕が単身神奈川のいとこの家に行く途中に少し寄るだけだ。だが内心はいとこに1年ぶりに会うよりもわくわくしていた。いつも"助言"に文字として表示されるだけの彼女が、一体どんな娘なのか楽しみだった。胸をおどらせていた。


「えっと……、これからどこへ行きましょうか?」
その彼女の言葉に、僕は現実へと引き戻された。そういえば、ただ「会う」ことばかりに気を注いでいて、「会って何をするか」をまったく決めていなかったのだ。
少しうろたえ立ち止まる僕に、彼女は予め言葉を用意していたかのように言った。
「お腹……減ってませんか。もう少し行ったところに、マック、ありますよ。」
「あ……あぁ、そうだね。マクド、行こうか。」
二人は再び歩き出した。

マクドナルドまでの道のりは、なんだかぎこちない雰囲気になり、自然と会話は途切れた。先ほど痛感した「関西と関東では『マクドナルド』の略し方が違う」ということを話題に挙げようと思ったが、やめた。言葉がのどで詰まっていた。
商店街に入った。僕より少し前を進む彼女に、商店街の人たちが話しかけてくる。どうやらこの小さなコミュニティーの中では彼女は有名らしい。
田舎もいいもんだなあ、と思っていると、八百屋のおばちゃんの大声が耳に入ってきた。
「あらナナちゃん、その子、彼氏?でもやけに後ろを歩いてるわねぇ」
「えっ」 僕は思わず驚きを口に出してしまった。『ナナちゃん』?
彼女はにやけながらこちらを振り向いて言う。「実は私の本名、ナナっていうんですよ。奈良の奈に、『同じ』を意味する文字で『奈々』。」
「へぇ、じゃあ助言で『ななちゃん』って呼んでたのも、間違ってなかったんだね。」
「ですね。」
そうちょっと恥ずかしそうに言う姿を、私は可憐だと思った。

セミの大合唱も少しずつおさまってきた頃、僕たちはマクドナルドに到着した。意外と客が少ないと感じたのは、むしろ僕が普段見慣れている大阪だの玉造だのにあるマクドナルドのほうが異常なのかもしれない。
僕はてりやきバーガーを注文した。カロリーは高いが、これが一番うまい。奈々はチーズバーガー。チーズが好きらしい。
他にコーラとフライドポテトをそれぞれ受け取り、僕たちは2階へと上がった。2階は店内で食べられるスペースとなっており、僕はめぼしい席を見つけ腰を下ろした。奈々はとなりに座る。本当は僕の正面に座って欲しかったが、彼女でもないし、まあいいだろうと自分の心に諦めをつけた。
席に座るやいなや、彼女は携帯を取り出した。そういえば、意識はしていなかったが、移動中も頻繁にチェックしていた気がする。

ハンバーガーを食べる音と、奈々が携帯を操作する音。沈黙の中で、その二音が交じり合い、それは不協和音のように感じられた。僕は何か話しかけようと思ったが、彼女の必死な横顔を見ていると虚しくなった。まるで携帯に取り憑かれているようだ。いや、奈々が携帯に取り憑いているのか。
僕は少し勇気を出してみた。
「あのさー、てりやきバーガーってカロリーすごい高いの知ってる?」
「……。」
奈々は反応しなかった。いや、反応したのかもしれないが、僕には見受けられなかった。重い空気が僕に圧し掛かる。
「ハンバーガーって、もはやエサだよね、なんていうか。この前てりやきバーガー食べてちょっと気持ち悪くなったし」
てりやきバーガーを食べているこの状況に対して、一種「自虐的」に言ったこの言葉に、彼女は少し遅く「ははは」と笑った。
しかし僕はすぐに気付いた。違う。この笑いは愛想笑いだ。目元が笑っていない。
本当の笑いは目元の筋肉が動くが、愛想笑いは口元しか動かない。これは科学的にもそう定められていると、何かのテレビで見たことがある。考えてみると、今までの時折見せる彼女の笑顔も、すべて愛想笑いだったように思えてきた。――こんな娘だったっけ?
なんだか無性に悔しくなり、やけ食いするようにてりやきバーガーを食べ終わると、僕は「はあ」とため息をついた。しかし、そのため息は奈々には届かない。彼女の眼中には携帯しかない。
ふと僕は奈々の携帯を覗いてみたい衝動に駆られた。何を一体そんなに必死なんだろう。助言でもしてるんだろうか。
「ごめんね」と心の中で呟きながら、僕はフライドポテトに手を伸ばすフリをして、身体を奈々の方に傾けていった。彼女はまったく気付いていない。
「今だ」と自分自身の心に合図して、画面を覗き込む。都合のいいことに、メールガードなどは貼られていなく、画面全体を見渡すことができた。
『今マジでかったるい状況なんだけどー』
画面には、僕が使ったことのない絵文字の羅列と共に、そう打ち込まれていた。
僕は困惑した。「かったるい状況」?どういうことだ?
混乱しながらもう一度携帯を覗いてみる。今度はなかなかうまく見ることができなかったが、「うざい奴と一緒に」という文が確認できた。
――こんな娘だったっけ?――そんな思いが僕の全身を再度駆け巡る。
僕が知っている奈々は、初対面の人をうざいなんて言わないし、ましてやその人に対して「かったるい」などという気持ちなんて抱かない。
なぜだ?僕が何をした?
爆発しそうな思いをかかえて、僕はフライドポテトを喰いちぎっていた。

空が曇りだしていた。商店街の人たちは、雨の場合に備えて家路を急いでいる。
僕たちはマクドナルドを出、どこに行くこともなく歩いていた。
行きとは違い、今度は僕が奈々の前を行く。彼女は携帯を時々取り出しては、"素敵なお友達"に近況を報告しているようだ。
天から零れ落ちたひとしずくが、僕の前をかすめた。「これはやばいな……」 そう思った時には、さっきの何百倍もの雨粒が僕たちに降り注いでいた。

走り出す二人。商店街から抜けてしまったので、建物が近くにない。いつの間にかあたりは土砂降りになっていた。
ようやく見つけ出した建物は、駅前の潰れたパン屋だった。シャッターは下りているが、雨宿りをするには十分なスペースがあった。
横たわっている看板を一蹴りし、僕は奈々を見た。彼女は濡れた前髪を気にしている。輝いていたはずの彼女の顔が曇って見えるのは、天気のせいだろうか。
次の瞬間、着メロが鳴り響いた。もちろん奈々の携帯からだ。慌てて取り出すその携帯からけたたましく聞こえているその曲を、僕は知らない。
物凄い速さでボタンを叩いている彼女を見ていると、僕はやりきれなくなった。膨れ上がる思いに歯止めが効かない。
「おい。」
僕の口から発せられたその言葉には、刺々しさがあった。流石の彼女も、手を止めこちらを見る。「はい?」
「携帯、やめろよ。」
「はあ……。」

メールを打っているだけで注意されるなんて不合理だとでも言いたそうな顔。だがこっちはもうだいぶ我慢していたんだ。冗談じゃない。
僕は間髪入れず奈々の携帯を奪い取った。画面には「こいつと雨宿りなんてありえねえよ」と表示されている。
全身の血が逆流しているような感覚に襲われた。その時、僕は生まれて初めて耳が熱くなる音を聴いた。

"狂気"が目覚めた瞬間だった。

「なにすんのよ」と喚く奈々をよそに、僕はその携帯を駅に向かってフルスイングで投げ捨てた。雨に遮られ、携帯の飛んでいく姿だけでなく、地面にぶつかる音さえも掻き消された。

呆然としている彼女の腕を鷲掴みにし、強く引っ張る。もはや何をしているのか自分でも理解できない。僕は彼女の手首だけを強く握り締め、雨の中を進んでいった。
商店街に入る道を真っ直ぐ行かずに、角を曲がっていくと路地裏に出た。雨に打たれて弱っている野良犬を蹴り飛ばしたい気持ちを抑え、なおも進んでいく。奈々の手首は引きちぎれんばかりに赤くなっている。彼女はさっきまで抵抗を試みていたが、もう諦めたようだ。
大きな建物が目の前に現れた。HOTEL「PACIFIC」と書かれている。普通のホテルとは違う、異様な雰囲気が漂っているあたり、ラブホテルか。ちょうどいい。


そのままホテルに突入すると、フロントが出迎えた。部屋を適当に選択する。このラブホテルは、オープンで従業員が立っていて、客が恥らう隙を与えないホテルのようだ。だが「恥じらい」なんて言葉は今やもう僕には関係ない。
「休憩」と告げ、2時間分の料金を払う。二人ともずぶ濡れで、明らかに女のほうは顔が引きつっているというのに、男性の従業員は何食わぬ顔で対応してきた。きっとこういう状況に直面することに慣れているのだろう。こいつも感覚が狂ってやがる。僕はそう思った。

部屋の鍵をもらい、ホテル内を突進していく。ラブホテルなんて入ったのは初めてだ。初めてがこんな風になるなんて。
部屋を見つけて入り口から入り、靴を脱ぐ。奈々のヒールは脱ぐというより脱げるといった感じだった。見ると、玄関があるのに奥にもう一枚扉がある。音漏れ防止だろうか。
勢いよく扉を開け放すと、メインルームだった。ざっと見回しただけでも、室内にはベッド、ソファー、テレビ、カラオケなど、様々な設備が整っている。これがラブホテルというものか。
ソファーを無視し、奈々をベッドに押し倒した。やっと離れた手が痛む。10分以上強く握り締めていたおかげで、僕の親指あたりもだいぶダメージを受けていた。まあ、心の痛みに比べたら、こんな痛み、どうってことはない。

奈々は無表情だった。それは、僕にはまるで幽霊か何かのように見えたほどだ。つい10分そこら前まで、思慮はないが確かに生き血の通っていた少女が、死体のような顔をしていた。

僕の動きが一瞬止まった。彼女の手首を見る。まだ紅い色をしている。生きている。
「おい。」
僕はきつく言った。
「なぜ怯えない?」
それでも奈々は微動だにしない。
「お前、今、犯されそうなんだぞ?わかってんのか?」
すると、彼女の顔が矢庭に変化したと思うと、「……ぷっ」と小さく吹き出した。
それは冷笑だった。この期に及んでの、冷笑。
「このアマ……!」
僕は服に手をかけた。そのまま脱がしていく。彼女は無抵抗だ。だが視線だけは僕を捉えて逸らさない。
そのうち僕は彼女の視線に耐えることができなくなってきた。白いブラジャーが顔を出したとき、こらえ切れずに言った。
「何か言えよ。」
死んだ目が僕に突き刺さる。
「何か言えよ!」
何も言おうとしない奈々に苛立ち、僕は頭を掻き毟りながらベッドを離れた。
「なんで何も言わないんだよおおおおおお!」
半狂乱となった僕は近くのソファーを蹴飛ばすと、その反動で身体が突き飛ばされテレビのほうへ突っ込んだ。よろよろと体勢を持ち直し、テレビをあらん限りの力で床に放り投げ、何かに憑かれたように暴れまわった。
ソファーを何度も蹴飛ばし、壁に頭を打ちつけた。ベッドの横にあるスイッチ群を蹴ると、ラジオのスイッチが入ってしまい、音楽が流れ出した。「うるさいうるさいうるさい」と叫喚し、もう一度スイッチを蹴ると、うるさい騒音は止まった。
朦朧としながら、ベッドにのぼる。再び奈々の上にまたがり、彼女の顔を睨むとやはり目が死んでいた。
ズボンを脱ぐ。トランクスからはみ出た陰茎は、確かに勃起していた。それは はちきれんばかりに膨らんでいたが、いつもの興奮とは全然違った。悲しい。無性に悲しい。

僕は奈々のその唇に自分の唇を宛がおうとした。が、できなかった。それは、頭から垂れてくる血が視界を遮ったからでもなく、その垂れた血が彼女の頬に落ちていたからでもない。どうしてもできなかった。
「なんでだよ……。」
何もできない僕は、苦しくて、悲しくて、痛ましくて。
気付いたら頬を涙が伝って、それが妙におかしくて、余計に泣けてきて。
悲しすぎて、僕はもう涙がだくだくで、ちんこも泣いて、

                              ―終(全部妄想です)―
全6350文字


posted by 溺愛 at 18:30| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
※映画化の話はなかったことになりました
Posted by しょんぼりーの at 2007年03月02日 19:08
あの
腕の良い弁護士知ってます。
何かあったら、連絡ください・・・。

文章は上手。
Posted by にぴたろ at 2007年03月02日 19:30
直視できませんでした
主演の人からの苦情が無いのならこのまま頑張って下さい
期待してます
Posted by Eclipse at 2007年03月02日 19:32
>しょんぼりーの
むしろそんな話あったんですかって感じだ。

>にぴたろ
きゃー

>Eclipse
はい、頑張ります。
Posted by 溺愛@どうやらみきお at 2007年03月03日 22:26
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